個人の本性

組織が混乱しているとき、組織や構成員の統率が取れなくなる。

 

混乱が起きて、決まったルールがなく、イレギュラーが多発する。

 

そう言う状況で今感じることは、人の本性は非常事態で表面化すると言うこと。

 

良い人だと思っていたのに、ずっとイライラしている。

 

自分が良ければ、それでいい。

 

 

色々あるけど、頼れる人がそう変わってしまった時悲しくなる。

 

 

変わらない人は器が大きい人や、能力がありこの混乱が大きなものと感じない人。

 

自分の本質的にどちらであれば変わらずいられるのか考えたら、やはり器だともう。

 

残念ながらスペシャリストな能力は持ち合わせていない。

 

それはそれとして、今の組織にやりがいや、楽しさを感じない。

これは変わる変わらないとは別問題。

 

今の組織であとどれくらい踏ん張れるだろう。

 

次の道は複数持っておかなければ、、、

 

 

定期異動

組織が変わって、気づくことがある。

 

自分の価値観を認識できる。

人間は大きな変化によってのみ認知ができるからだと思う。

分析は比較。比較は認知。認知するためには両方の事柄の本質が見えている必要がある。

 

部下後輩を評価する立場になったとき、「自分の時はこうだったな」「他の人とここが違うな」「この人の本質はこうなんだろう」本質を見て、周りや過去の自分、あるいはあるべき姿と比較して、そこから価値観ややるべきことを見つけるのが定石なんだとやっと気づいた。

 

 

話が逸れたけど、異動によって自分の価値観が組織や企業風土、文化に大きく依存すると再認識した。

50万円もらえるギスギスした組織よりも、25万円の成長を支援する文化を持った組織で働きたい。あとは生きるために給料の最下限をどこに設定するか。

当然、やりがい搾取するような組織ではダメ。

 

前の組織は良き企業風土を持っていたんだと、異動して感じるここ数日でした。

久々の憂鬱シーズン

前回の日記から半年以上たった。

 

この間にコロナで色々環境が変わった。

あと出世もした。人に認められて、推してもらえることのありがたみがわかる一方で上がったあとのプレッシャーが重くのしかかる。

上がる時は、勢いで走り抜けたけど、上がったあとに管理者としても周りからの目、評価される側に歩み寄っている実感を得た時、どうしようもなく不安になる。動けなくなる。

 

以前いた部署のような鬱直前の状況ではないけど、環境が変わることへの不安はやはり大きい。

 

業務が回らなくなってきて、イライラする。タバコも増えて以前より拍車をかけてイライラする。

イライラして悲しくなって憂鬱になる。

 

 

あーーーーー

ふいに叫んで発散したい。

どうしよう。溜まり溜まったストレスや不安をどう解除しようか。

今の気持ち

2ヶ月ぶりの更新

 

仕事で自分がどのような成果を上げているのか。

営業職の指標では数字しかない。自分にあまり稼ぐこだわりが無いためか、モチベーションにはつながらない。

自分は保守的な人間で、ミスなく、滞りなく事を進めるのが好きだ。

公務員向きと言うか、役所仕事のような業務が好き。

自分が頑張るモチベーションをどうやって今の職場で発揮するかは永遠のテーマだと思う。

今いる会社は世間で言われる様な悪い会社では無い。だからこそ転職という選択肢には至らない。

 

やりたいことをすればいい。

 

こんな言葉は妄言に聞こえる。やりたい事ってなんだ?

自分は体たらくに日々ゆっくりとした時間を限られた友人と家族で過ごせればいい。

ただやはり社会から切り離される恐怖心はあるので、仮に宝くじで高額当選しても仕事はやめないだろう。

 

頑張るためのガソリン、成果を上げるための普段の努力をするエネルギーが枯渇している。

 

虚無感に襲われながら、毎日を過ごし、平成が終わった。この流れで、後30年以上も社会とつながるにはあまりにも時間が長すぎる。

今の気持ち

また久しぶりの投稿。

最近精神状態は安定していた。

比較的遅い日も多かったけど、多分充実していたんだと思う。

 

ただ、ここ1週間自分のキャパを超えたタスクが降り注ぎほぼ全て遅延してる。

 

朝も起きれなくなった。ついでに眠りに入るのに時間がかかっている。一般的な人よりはすぐに寝ていると思うし、不眠ではないだろう。

 

つかれた。

現実逃避に向かって仕事が捗らない

あるべき姿と役割と能力

自分がどうあるべきか、どうありたいか。

その希望と自分の役割がなにか、何を求められているのか。

ありたい姿と求められているものを、実現する能力があるか、人間の姿はこのギャップの差だと思う。

 

 

差を埋められる人は、何かを実現できる。もしくは周囲に認められる。

外的な他者の判断と内面的な自己評価の差をどう消化するか。

 

差が大きくても強く生きる人間は当然山のようにいる。

その差を埋めるべく、もがき進む人もいる。

 

人間は停滞したらおしまい。

自分から見える自分と、他者から見える自分のギャップを埋めたときこそ、新たな自分に生まれ変わる。

 

最近そう思うようになった。わかっている。

わかっているんだ。

 

なのに、身体は正直で、こんなに不眠とは縁遠いはずなのに、眠れない。

明日も早い。

都合のいい人間

出世するためには、自分の強みをよく分析するように言われた。

 

たぶん、要望に対していいようにやるところだろう。うまくいかないことも多いが、その姿勢と立ち回りが人からいろんなことを任せられる理由だろう。

 

ただ、自分の思いはまた別だ。

都合のいい人間なんだと思う。良く言えば、うまくやってるバランサーだが、だからといって重宝されてるわけじゃない。

例えば飲み会や遊びに誘ってもらえるわけじゃない。

幸いにもまだ若手から声をかけてもらえる機会はあるが、いわゆる要人やキーマンのそれはほとんどない。

 

使いやすいが、魅力的ではないのだろう。

おそらくそうだ。

 

人と話している時に相手のそういう感情が見えるとき、どうしようもない悲しさと不安に駆られる。

 

帰りの電車でどこかのサラリーマンが承認欲求について語っている。

 

つまりそういうことだ。自分も承認欲求が強いんだ。

 

 

誰かに認められたい。必要とされたい。

それが手に入れば。少しは人生が明るくなる気がする。